子供の発達
人生最後の授業として、取る必要もない認知心理学を聴講しています。
今日の授業内容を大まかに分かりやすく書き留めておきたいと思います。
人間構成・発達の大部分は0歳から15歳の時期に起きると認知心理学の中が定説となっており、4つの発達段階が存在するとフランスのJean Piaget が定義しました。
1)0歳から2歳間までの段階
2)2歳から7歳までの段階
3)7歳から11歳までの段階
4)11歳からそのあとの段階
*個人差があるので上記の時期に関してはあくまで参考だそうです。
1の段階では、人間は”物体の概念”がないということ。
例えば、ボールを手の上に載せて、それを目の前にある布に隠して、手を開けるとボールがなくなっていた。そうするとボールがどこにあるか分からない。
これは、赤ちゃんは”視覚で見えないものは存在しない”という構造で世界を認識しているのです。また、居ない居ないバーもそれと同じで、顔が見えていて、手で隠したら”存在”しなくなり、手を離した瞬間に顔が存在するようになったと赤ちゃんは認識するのです。
2の段階では、人間の子供は”自分の視点以外でモノを見えない”ということ。
例えば、子供の目の前に色々なものを置いて、その一番後ろにいる人形からの見える景色を描かせたところ、自分の見える景色しか描けないという事実があります。
また、この2の段階の子供には他の特徴もあります。
例えば、アニメニズム:存在するモノのすべてには意識があるということ。例えば、人形に話しかけたり、あたかもその人形が意思をもっているかのように接することや、車やロボットのおもちゃに意思を持たせて戦わせたりなど。
リアリズム:子供の認知は絶対的であること。見るままに物事を認知すること。例えば、車が動かなくなったら、アニメニズムの観点から、車は意識があるものと認識して、動かないは病気と認知する。そのため、子供は車は病気なのー?という指紋などをする。
最後はアーティフィシャリズム:自然現象はすべて人間によって創り出されるものだと思うこと。例えば、飼っている虫が死ぬという現象を見て、電池など入れてまた動かせるようにすることなど。
この2の段階で一番興味深かったのは、量、長さ、数、容積の認識ができないということ。これは子供がこれらを一元的にしか捉えられないということに起因している。例えば、同じ容器の中に同じ量の水を入れて、子供に見せる。そうすると同じ量と認識する。そのあとに、一つの容器の水を細長い容器に入れる。もちろん量は変わらないが、見た目では細い容器の水の方が子供には多く見える:かさが増えている認識。
3の段階では、これらの空間?認識ができるようになってくる。サイズや形などで分類する、特徴によって名前や物を判別する、そしてモノや数は変わることができることを理解するなど。
4段階目では、抽象的なものについて思考する、論理的な思考、与えられた情報から結論を道びだすこともできるようになる。
例えば、愛などの抽象的な概念、価値観などを理解できるようになる。
この授業からどのように自分の子供ができたときに接してくべきか理論的に理解することができた。当たり前だが、子供の発達には段階があること。これを意識して子供に接している親は少ないのではなかろうか。他の子供と比べたり、勉強や単純なことが分からなかったりすることを否定したり、叱ったりするなど。
是非、子供の成長を肯定的にとらえて促していくべきであると強く思った。